天使になりたい40代

初めて「天使になりたい」と本気で願ったのは、中一のとき(中二病!?)だけど、 大人になったからといって、目に見えないものを信じなくなったり、理想を捨てるなんてことは、しなくてもいいんじゃないかと思って、 本気の本気で、天使の心や生き方を、目指して、思ったことを書き綴っていこうと思います。 天使になれるかどうかは分からないけど、目指したって良いと思うのです。 理想は高く✨努力は手堅く!をモットーに、がんばり過ぎずに、がんばっていこうと思います。

厳しさと優しさ

目の前の 甘い蜜を与えるのは

本当の優しさじゃない気がする

 

“気づき”を与えることが

その人の未来を開くことになるなら

私は 気づきのきっかけを与えたい

 

ときには厳しさも必要

 

その見極めは 難しく

「これで十分」「これが正解」

といった はっきりした答えも 見つからないだろうと思う

 

現時点での 精一杯を考える

そんな日々

心の中の“愛の光”

 

「自分自身の心の内を見よ。そこに愛の光が見えるか」
「信仰とは、この愛の原点に気づくことです」
 
私が大好きな書籍『限りなく優しくあれ』にある言葉です。
 
自分の中の“愛の光”を信じることができたら、
他人の中の“愛の光”も信じられる
世界を信じることができる
この“愛の光”を神様と思っています
 
 
私が初めて、この『限りなく優しくあれ』という本を読んだのは、中学生のときでした。
ずっとずっと大事にしてきた言葉が、たくさん詰まっている大切な本です。
 
あれから三十数年、
時代は変わり、世の中も変わりましたが、心の中の“愛の光”は、いつの時代も変わらないものだと信じています。
 
 

人生の宝物

 
 
 
道を迷うことがある
今も、迷っているかもしれない
 
今までの、数々の分かれ道を
「あっちに進めばよかったのかな…」
なんて、後悔することもある
 
 
だけど、
人生の宝物は、どの道にも埋まってるのだと思う
 
選ぶ道によって、埋まってる宝物の内容は違うのかもしれないけど
選んだ道に、最も相応しい宝物が、埋まってるんじゃないかな、と思うようになった
 
 
大事なのは
 
掘り当てること
 
 
 
 
「こんな道、選ぶんじゃなかった」
 
そんなことを思って、クヨクヨしてたら、
埋まってる宝物に気がつけない
 
せっかくの宝物、素通りしちゃう
 
 
 
掘り当てる気持ちが無かったら、
どの道を選んだって
宝物は見つからない
 
それは、道のせいじゃない
選択が間違ってたのでもない
 
掘り当てる気持ちが、足りなかっただけ
 
 
 
掘り当てる気持ちさえあれば、
どの道にだって、
宝物は見つかるはず
 
 
だから、選んだ道を後悔しない
 
選んだ道で、最善を尽くす
 
 
いつだって、人生の宝物は
足元に埋まってる
 
気付いていないだけ
 
 
どれだけ見つけられるかは、自分次第
 
 
そんな気がする
 
 

大切なこと

人は必ず、この世を去る
 
百年、長くても二百年もすれば、
今生きている人は、みんな旅立っているはず
 
この地上に居られる時間が、あとどのくらいかは、誰にも分からない
 
余命数ヶ月と言われながら、何年も生きながらえることもあるし、
健康そのものでも、ある日突然、旅立つこともある
 
 
今、ここに、居る時間
何を心に刻むのか
それが大事なのだと思う
 
だって、あの世に持って還れるのは、心だけだから
 
 
人生を長く歩めることも幸せだけど
たとえ短い人生だったとしても
美しい心を持って還ることができたら
それは、人生に勝利した
と言えるのだと思う
 
いつ来るか分からないタイムリミットまで
時間いっぱい
より深く、より広く、より美しく、
心を育てること
 
そして、周りの人々に
あたたかい心を届けること
 
 
それが、大切なのだと思う
 
 
 

不思議

「神様なんて居ない」と信じてる人がいる

「天国地獄なんて無い」と信じてる人がいる

「死んだら全てが無くなる」と信じてる人がいる

「確認できないことは、存在しない」と信じてる人がいる


なぜ、そんなことを信じてるのだろう?

確認できないだけで、「無い」と証明することもできないのに

なぜ、世界を小さく決めつける考え方を、採用するのだろう?



小さい頃から、ずっと不思議だった

「『サンタクロースは居ない』と言うことが、大人になるということなら、そんな大人にはならない」
子供時代、そう強く思った

そして、サンタクロースを信じてる大人になった
天使を信じてる大人になった
神様も居るし、天国もあるし、目に見えないものが、たくさん存在してる
そう、信じてる大人になった


確認できないだけ


人の絆だって、目には見えないけど
確かに感じる
心がつながる感覚

みんな知ってるはずなのに

目に見えなくても、
手で触れなくても、
あるものは在る

みんな感じてるはずなのに


なんで、「無い」と信じようとするんだろう?

本当に不思議

穏やかな心


生きてると
心が揺れるときがある

怒りだったり、不安だったり、
心が波立って おさまらない
そんなとき
幸せは とても遠く感じる

波立った心には
世界が歪んで見える

世界が美しく見えないとき
他人が悪く見えるとき

実は 自分が揺れているのかもしれない


もちろん、世界が汚れてることもある
他人が悪いこともある

だけど 穏やかな心を 取り戻せなかったら
正義を振りかざしているつもりで
自分が問題児になってしまうかもしれない

世界を変えることは できなくても
他人を変えることが できなくても
自分を変えることは できるはず

心穏やかな自分でありたい
どんなときも 揺れない心
強くて 寛容で あたたかい 穏やかな心

そんな心を 保つことができたら
幸せだろうな♪

幸せは
人からもらうばかりじゃなくて
つくりだすことができるはず✨

自分を鍛えるチャンス


心の何処かで
ずっと、出口を探してた

悩みから解放されたい
迷いの森から抜け出したい

迷路に閉じ込められたような気がして
辛くて、苦しくて、悲しくて…

悩みが消えて無くなればいいと思ってた
苦しみが無くなればいいと思ってた

悩みや苦しみを
取り除くことばかり考えてた
避けて通ることばかり考えてた



真正面から、受け入れたら
どうなるんだろう?

このダンジョンに、挑んでみようかな
回避するんじゃなくて、向き合ってみようかな
脱出を目的にするんじゃなくて、
探索し尽くしてみようかな

宝箱が見つかるかな
スキル習得できるかな
ギミック攻略できるかな


「人生は一冊の問題集」

尊敬する方からいただいた言葉の意味が
少しだけ分かってきたような気がする

自分を鍛えるチャンスだと思えたら
悩みは、苦しみじゃなくて
楽しいゲームのように
味わえるのかもしれない

1日5分


どんな苦しいときでも
どんな悩みを抱えてても
どんなに忙しいときでも

たった5分くらい
何もかにも忘れて
ただただ幸せを噛みしめる時間があってもいいと思う

ふと、心をゆるめて

風に揺れるタンポポのように
日向ぼっこしてる猫のように

大地のぬくもりを感じ
風のかおりを味わい
おひさまの光を浴びて

自分を包む世界の鼓動に
耳を澄ませる


ほんの一瞬でも
自分の悩みが小さく見えたら

今日も一日頑張れる

人類のゆくえ


個人の話なら、
「自分の認識できる世界だけが、世界の全てだ」
なんて思うのは、狭い心だと分かる


じゃあ、人類全体では?

「現在の科学で実証できないことは、ありえない」
そんなの、狭い科学なんじゃないかな…

現在の人類が、理解できないことは、無いと思うのは、傲慢じゃないのかな…

人類が、“地球は丸い”と知る前から、地球は丸かった

確認できなくても、事実は事実
存在する
現にそこにある

現在の人類が、宇宙の何を知っているというのだろう?
現在の人類が、生命の神秘の何を理解しているというのだろう?

未知なるものを探究することで、人類は成長してきたはず

「自分は全てを理解した。自分に理解できないものなんて、あるはずがない」
そんな人間が、落ちぶれていくように、

「現在の科学で解明できないものは、認めない」
ということが、“常識”とされるなら、
人類レベルで落ちぶれてしまうんじゃないのかな…


「理解できないものを、受入れていく」
それができなかったら、個人だろうと、人類だろうと、“終了”なんじゃないのかな…

最近の、地球規模の様々な出来事は、
「人類が理解できないこと、コントロールできないことが、まだまだたくさんあるんだよ」
という、メッセージに思えてならない

未知なるものを、受け入れる気持ち
大事にしていきたい

そして、「未知なるものを受け入れていくことが、常識だ」と、思う人が増えることを、私は願う

それが、人類のゆくえを左右する
私は、そう思う