自信と謙虚さ
「自惚れ」と「自信」は違う
「自己卑下」と「謙虚さ」も違う
どう違うんだろう??
自信を持とうとして、自惚れたり
謙虚になろうとして、自己卑下したり
たくさん失敗を重ねてきて
今、思うこと
「自分」というものは
“核”の部分と、“外付け”の部分があるんじゃないかな、ということ
“外付けパーツ”は、いくらでも取り替えができる部分
今まで生きてきて培ってきた、価値観とか、技術とか、習慣とか
価値観は、間違ってたと思ったら、持ち替えればいいし、
技術は、まだまだだと思ったら、磨けばいいし
習慣は、良くないと思ったら、改善すればいい
そういう、“外付けパーツ”を、もっと良くするための学ぶ姿勢とかが、「謙虚さ」になるのかな、と思うし
“外付けパーツ”に自信を持ってしまうと
「自惚れ」てることになっちゃうのかなって、感じる
それとは別の、もっともっと深いところの、心というか、魂というか、存在の核というか、
どんな“外付けパーツ”を持っていようとも、変化しない部分
その深い深い部分には、自信を持っていいんだと思う
だって、どんな“外付けパーツ”でも取り付けられる
それってスゴイ!
無限の可能性があるってこと
だから、自分はダメなんだなんて自己卑下する必要はなくて、
自分の無限の可能性を、喜んだらいいのだと思う
私は、ウツになったとき、
それまで頑張ってきた全てが無駄だったように感じて、「自分」というものがガラガラと音をたてて崩れ落ちた気がした
でも、
無くならなかった
“外付けパーツ”が崩れ落ちたあとには、
“核”が残ってた
そのときに「自分」というものに対する意識が変わった気がする
全部、崩れ落ちちゃったけど
まだ生きてる
まだやり直せる
いつからでも、ゼロからスタートできる
こんなに崩れ落ちても、“核”は無くならないんだ!
またエネルギーが湧いてくるんだ!
ウツのどん底で、それを確信した
それが、今の私の「自信」