天使になりたい40代

初めて「天使になりたい」と本気で願ったのは、中一のとき(中二病!?)だけど、 大人になったからといって、目に見えないものを信じなくなったり、理想を捨てるなんてことは、しなくてもいいんじゃないかと思って、 本気の本気で、天使の心や生き方を、目指して、思ったことを書き綴っていこうと思います。 天使になれるかどうかは分からないけど、目指したって良いと思うのです。 理想は高く✨努力は手堅く!をモットーに、がんばり過ぎずに、がんばっていこうと思います。

人生を輝かせる

死なないために生きてるわけじゃない

いつか地上を離れるその日までに
どれだけ輝けるか
どれだけ世界に光を増やせるか

それが大事だと思ってる


たくさんの輝きを放つために
長く、地上に留まる必要があるけれど
地上に留まることそのものが、目的なわけじゃない



私は、2016年に、震度6の地震に見舞われたとき、この世を離れる日を覚悟した

人間、いつ“その日”が来るか、分からないものだと、心底、思った

余震が続き、職場もぐちゃぐちゃで、仕事もできない数日の間に、
自分の人生から、何か未来に遺せないかと、とある文章を書き上げた

4年以上経った今、読み返してみて、やっぱり未来に遺したい、そう思った

ただ、その文章は、読む人によって、ずいぶん捉え方が違うみたいで、
リアクションを受け止める器が、私に無く、ほんの一部の人に読んでもらうだけに留めてた

今でも、読んでくれた人のリアクションを、受け止められるかどうか分からない

上手にスルーできる自信もない



4年経って、文章を書いた頃とは、考えが変化してる部分もあるけれど

当時、自分の人生を絞り出すように書いた、その文章を、晒してみたい

そんな気持ちが湧いてくる


自分の全てをさらけ出したような文章を晒すのは、
正直なところ恥ずかしいし、
それを否定、批判されたら、深く傷つくけど…

そんなリスクを侵してでも、伝えたい気持ちが込められている、そんな文章


今はまだ、覚悟が足りないけど、
いつか、どこかで、公表できる勇気が欲しい

なるようになる

人生、いろんなことが起きるけど、
なるようになる、そう思う

大変なときは、辛いけど
過ぎてみれば
「あの頃があったから、今の自分がある」
と思える


遠回りし過ぎちゃったかもしれないけど、
それはそれでいい経験だったと思う

約20年、さまよった
気が遠くなるほど長い時間、ぐるぐる迷いの森から出れなかった
20年経っても、現在進行形の悩みの中に居た

いつの間に出られたんだろう…
今はもう、遠い昔のことに感じる

やっと、一つ、ステージアップ

20年かけて、1ステージかぁ…
ゆっくりでも、進んでるなら、いっか😄

また20年かけてステージアップするつもりで、ちょっとした浮き沈みがあっても、最後は必ず良くなると信じて、生きていこうと思う

本来の輝き✨


誰もが、持ってる
本来の輝き✨

それは、本当に最初の最初から、持ってるもの
神様から与えられたもの


現実には、“醜い自分”ばかりが目についてしまうことがある

「どんなにいい人ぶっても、自分は本当は醜いんだ…」

心に染みついた汚れが、もう取れないと思い込んで、

汚れを隠したり、コーティングして外側だけキレイにしてみたり、試行錯誤して、努力して、作り上げた偽物の輝きは、続かない

どこか虚しい

たとえ他人が、褒めてくれても、
心の奥底で、
自分で自分に納得がいかない


そりゃ、そうだよ

だって、違うもん


心に染みついた汚れは、取れるんだよ

取れないと思い込んでることが、大きな間違い

最初から、輝いてるの

取り戻せはいいの


汚れた自分を自分と思い込んで、
抱え込んだまま、
上塗りに上塗りを重ねるから、
どんどん重くなる

汚れた自分は、本来の自分じゃない
洗えばいい
がっつり染み込んだ汚れを落とすのは
大変だけど、時間もかかるけど、
あきらめなくていいんだよ

必ず汚れは落とせる!

そう信じられるからこそ、汚れた自分と向き合える

必ずキレイにできる
必ず輝きが戻ってくる

信じられるから、頑張れる

そうやって頑張れると、
自分を好きになれる♥️

そして、いつの間にか、
周りの人の輝きも、見つけられるようになる

そういう、心が軽くなっていくプロセスの循環が、
広がっていきますように✨

笑顔は、「伝染る」

「あたたかい光に包まれたい」

「光」の意味するものは、
「愛」とか「安心」とか「幸福」「喜び」「癒し」「希望」「感謝」…いろいろだけど、
なんかそういう、「あたたかい善きエネルギー」

きっと誰もが求めているもの

みんな光を求めてる

私も


心に光を灯したい

小さな光でもいいから、自分の心に光を灯すことができたら、
自分を明るくできる
周りを明るくできる
世界を明るくできる


「笑顔」だって「伝染る」んだよ
ウイルスなんかより、ずっとずっと高い感染率

笑顔を広げよう
喜びを広げよう
希望を広げよう
光を広げよう

心に灯した小さな光
消えないように、あたため合って
未来を照らしていこう

癒し

「癒し」について、いろいろ考えてみるものの、言葉がまとまらない
私は、本当に癒やされたことが、あるのだろうか??

いろいろ考えてるうちに、「自分で自分を傷つける」クセがあるような気がしてきた

傷つけるというか、責めるというか、大事にできてない感じ

自分で自分を大事にしなかったら、受け取れるはずのものも、受け取れない

もっと自分を大事にしよう
そう思った

降りそそぐ、あたたかい光を
受けとめよう

自分で自分の価値を認めよう

自分で自分を許そう

まだ、上手くできないけれど
それができたら
固く閉ざされた心が、柔らかくなって
いろんなものが、染み込んでいくかな…

何もかも自分で弾き返しておいて
勝手に辛くなってるのかな…

そういえば昔、恩師に叱ってもらった
「我慢は、慢心なんです。
勝手に我慢して、文句をいうのは見当違い。
ちゃんと自分を大事にしなさい」って

あれから20年以上、私は変われてないのか…
ん〜、少しは変われたかな?
こうやって「変われない自分を責める」のをやめないとね!

癒やされることを考えてたら、頑張ることを考えてる…

結局、すべては、一つにたどり着くのかもしれない

「あたたかい光に向かう」

それだけなのかも

心のメンテナンス④ 【心のトレーニング】


「頑張り方をまちがえた」そんな失敗をいっぱいしてきた

努力は大事なんだけど、
努力の方向、方法、量を間違えちゃったことが多かったかも


専属コーチやトレーナーがついてるわけじゃないから、ちゃんと自分でトレーニングメニューを作らないといけないのだろうけど…

何をトレーニングするのか、それを見極めるのが一番難しいかもしれない

自分を知ることは難しい…


たぶんだけど、
“合ってるトレーニング”をしてるときは、
満足感とか、充実感とか、自分に誇らしさを感じるような、“心が喜ぶ”感じがするんじゃないかな、と思う
たとえ、それが大変なことだったとしても、決して嫌じゃない、そんな感じがあると思う


ちゃんと自分と向き合って、自分で決めることが大事なんだと思う

「こうあるべき」
「みんながそうしてるから」

世間の評価とか、常識とかに縛られた判断じゃなくて、

「本当はどんな自分になりたいの?」

それを自分に問いかけて、
自分で見つけていくことが、大事なんじゃないかな

そして、それを実行していくことは、
とても勇気が要る

「こうでなきゃいけない」
そう思ってたことが、ただの思い込みだったりすることもある

誰にも強制されてないのに、自分で自分を許せなくて、焦って、もがいて、歯を食いしばることが、「頑張る」だと思ってた時期もあったけど、
「自分を許す」のも、頑張ってできるようになる大事なトレーニング項目だな、って思うようになった

それは、怠けるのとはちょっと違ってて、やっぱり勇気が要ることで、
「許す勇気」とか「逃げる勇気」とか「甘える勇気」って必要な気がする


不思議なもので、そうやって自分の内を掘り下げていくと、外と繋がってる感じがする

自分を許せると、他人を許せる

逆も、そうなのかもしれない

他人を許せると、自分も許せる


心に負荷をかけるトレーニングじゃなくて、
ちゃんと心を広げて、器を大きくしていけるような、そんなトレーニングをしたいなぁ

その内容は、人によって、また、タイミングによって様々なのだろうけど、
「自分自身と向き合う」ということは共通なんじゃないかなって思う

自分と向き合って、今の自分に合った、必要なトレーニングをしていきたいな

心のメンテナンス③ 【心の排泄】


どんな人だって、トイレにいくように、
誰にだって、吐き出したい思いがたまるのだと思う

問題は、いつ、どこで、どうやって吐き出すか

上手に処理できるようになりたいなぁ


昔は、出したらいけないものだと思って、
フタして、隠して、我慢して…

でも、どこかで限界がくるから
耐えきれずに突然ぶち撒けて、大惨事…
を繰り返してた😅


出るものは、出るんだよ
出したくなくても、人間なんだから
当たり前
しょうがない

だからといって、垂れ流していいわけじゃない
大事なのは、出し方


いつ? どこで? どうやって?

そして、出したら流す!
これ、大事。


心に、ため込んだもの上手に出して
デトックス

すっきり軽やかな毎日を過ごしたいな✨

心のメンテナンス② 【心の栄養】


心の栄養って何だろう?

心が育つことに必要な養分?

今まで出会ったことのない考え方とか、価値観にふれること、

今まで周りにあったのに気が付かなかったことに気がつくこと、

それを味わうことなのかな


う〜ん?
でも、世の中には、けっこう“毒”もまかれてる気もするので、
何を食べて、何を食べないようにするか、選ばないといけないかも

何でもかんでも、摂取すればいいわけじゃないなぁ


理想的な人たちの、考え方や価値観を吸収しようとすること、かな

良いものに触れる
本物を知る

それから、
すでに与えられてるものに気付いて、きちんと受け取る


「身体に良いもの食べよう」って思うのと同じように、
「心に良いもの吸収しよう」って思ってアンテナ張ってたら、
目につくようになるかもしれない

まずは、心がけるところから

よき発見、よき出会いがありますように✨

心のメンテナンス①

身体のメンテナンスを、心がけてる人は多いと思う

しっかり栄養摂って、
きちんと排泄して、
レーニングして、
休息して

毎日とか、週一とか、
一定のサイクルで、バランスよく続けるのが大事だと理解してる


心は?
心も同じなんじゃないかな

見えなくて、鏡にも映らないから
ついつい偏った心の使い方しがちだけど、
点検して、メンテナンスしないと
心だって病気しちゃう

しっかり栄養、
きちんと排泄、
レーニングして、
ゆっくり癒やされる


適度なバランスで、一定のサイクルで、続けることが大事なのだと思う

「昨日食べたから、今日は食べなくてもいい」
「今日お風呂入ったから、しばらく入らなくても大丈夫」
とは、ならないのと同じように、
ため込んだり、無理したり、できないはずなのに、
目に見えないばっかりに、無理してる人が多いんじゃないかな、と思う

人からは見えない
自分でも点検しない
どこまでも暴走しちゃう心に、ブレーキをかけてくれるのが、身体なのかなって感じる
病気して、強制ストップ


病気したときは、心を見つめる時間

病気しなくても、身体こわす前に、
日頃のメンテナンス

心のメンテナンス
もっとしっかり、心がけていきたいな

じゃあ、心の栄養って?
心の排泄って?
心のトレーニングって?
癒しって?

なんだろう?
どうしたらいい?

ひとつずつ、じっくり考えていこうと思うので、次回に続く♪

自分の中に


命ってなんだろう?

心ってなんだろう?

自分ってなんだろう?


誰に教わらなくても、みんな
心の奥底で、“知ってる”んじゃないかなって思う

だって、いま、生きてる
だって、ここに感じてる
自分は自分

いろんな思想があるだろうけど、
どんなふうに考えても、
その考え方が合ってても、違ってても
事実は事実
変わらない

変わらず、そこに在る



私は「宗教」という言葉が苦手だ
きっと、「強制」とか「抑圧」とか、そういうイメージが絡みついてくるからだと思う

目に見えないものを信じようとしない唯物論の人たちは、
「心なんて無い」「肉体が無くなれば、全て無くなる。命も消滅する」
って言いたいんじゃなくて、
「強制されたくない」「抑圧されたくない」だけなんじゃないのかな…

「思想を押し付けられたくない」
「団体に所属したくない」
そういう気持ち

押し付けられるのは、誰だって嫌だと思う
私も嫌だ

でも、だからといって
「心なんて無い。魂なんて無い」
「肉体が無くなれば、全てが無くなる」
ってことにしなくてもいいと思う

宗教に関係なく、
団体に所属するとかしないとか、
押し付けとか、そんなの全部関係なく、
ほんとのほんとの本当に
「心なんて無い」って思うのかな

そう思うとしたら、その「思い」は
どこから出てるのかな…


強く強く、湧いてくる「思い」
見えないエネルギー

誰に聞かなくても
自分自身が“知ってる”

その自分を自分として認めることで
本当の自分に目覚める
そんな気がする