天使になりたい40代

初めて「天使になりたい」と本気で願ったのは、中一のとき(中二病!?)だけど、 大人になったからといって、目に見えないものを信じなくなったり、理想を捨てるなんてことは、しなくてもいいんじゃないかと思って、 本気の本気で、天使の心や生き方を、目指して、思ったことを書き綴っていこうと思います。 天使になれるかどうかは分からないけど、目指したって良いと思うのです。 理想は高く✨努力は手堅く!をモットーに、がんばり過ぎずに、がんばっていこうと思います。

まずは、気づくことから


いろいろなこと、思ったり、考えたりするけど
気がついてない事が、ありすぎる気がする


見えてるようで、見ていない
自分のことも
他人のことも
世界のことも

自分が見てるのは、ほんの一部
自分が感じ取っていることは、ほんのわずか

私は、自分をどれだけ知っているというのだろう?
他人の何を、知っているというのだろう?
世界の何を、知っているのだろう?


正しく見るということは
本当に難しい

高い見識、広い視野、公平で正しい価値観…
それはきっと、神様の視点。


自分の見方と
神様の見解が、どれほどズレてしまっているのか、
それに気づかないと、正しく修正するのは難しい

「神様の目には、どう映っていますか?」

そう問いかける気持ちを、
大事にしていきたい

生かされてる


私は、宇宙をつくることはできない
太陽をつくることもできない
地球をつくることもできないし
地球を回すこともできない

自分の命を続けていくために必要なものを
自分では用意できない

全て、与えられてる
私は、生かされてる
みんな、生かされている

与えられている

この奇跡を
神様の業と呼ばずして
何と言うのだろう


今日も、日が昇り
季節がめぐる

そんな、当たり前のような奇跡に
感謝できる自分でありたい

「生まれてこなければ良かった」

こんな話、誰か信じてくれるだろうか?
でも、誰も信じてくれなくても
私にとっては、揺るぎない真実

前にも確か、少し書いたことがあるけれど
私には、生まれたときの記憶があった

さすがに、40年以上前の記憶なんて、今となっては、もう、あやしいのだけれど、
私は、胎内記憶を持ったまま、生まれた

半分、大人の意識を持ったまま、記憶リセットをし損ねて、あの世から、この世に、生まれてきた


私が生まれ育った場所は、石油コンビナートの煙突が立ち並ぶ、すぐ側の住宅街

モクモクと煙の出る煙突が、時には炎をあげているのが、よく見えた

夏には、毎日のように、光化学スモッグ注意報が発令され、外で遊ばないようにアナウンスが流れていた

空から降ってくる雨は、なんとも言えない、薬臭い変な臭いがしていた


(人間は、こんなに地球を汚さないと生きていけないのだろうか?
そうまでして、何のために生きているのだろう?)

そう思った私は、「どうして人は生まれてくるの?」と、大人たちに訊いた

納得のいく答えは、返ってこなかった

というより、誰も「生きる意味」を知らずに生きているということが、分かってしまった


どうして生まれてきたのか

何のために生きているのか

みんな知らずに、生きてる

なんなの?この世界は?


2歳にして、この世界に絶望した
そして、放った言葉が
「生まれてこなければ良かった」
だった


「生きる意味を、知らずに生きている人たち」であふれている世界

それでいいの?
おかしくない?

命をなんだと思っているんだろう?
死んだら何もかも消えちゃうなんて、本気で思ってるの?
なんで天国が無いなんて思うの?
なんで天使なんていないと思うの?

2歳の私は
とても、かなしくて
毎日、泣いていた


どうか、思い出してほしい

生まれてくる前にいた世界のこと

ありのままを見つめる

マイナスの感情が出てきたとき、

つい、

「こんなマイナスなこと思っちゃうなんて…」と
無理やりプラス思考に切り替えようとしたり、自分を責めたり…

いろいろしてしまいがちだけど、
意外とそのまま、マイナスの感情を受け入れることも大事だったりするなぁって、

最近、やっと本気で思えるようになってきた



自分の心を、ただ見つめる

良いとか、悪いとか、関係なく

「あぁ、自分はこういう言葉に傷つくんだ」とか、

「こういうことが嫌いなんだなぁ」とか、

「この人苦手だな…」とか、

自分の中にある感情を、正直に受け止めてあげること、なかなかできなかった


「こんなこと、思っちゃうなんて、私、弱いなぁ、」とか、「自分サイテー」とか、
自分をけなしたり、責めたり…

もしくは、そんなこと思わなかったことにしようと、プラスの言葉でねじ伏せてみたり…


でもね、思っちゃったんだよ

それが、事実

それが、自分


なかったことになんてできない


嫌なものは嫌

辛いことは辛い

苦手なものは苦手


「そのままの自分を受け入れて良いんだよ」



やっと、その意味がわかった気がする



感情を素直に取り出して
自分で自分を受け入れる


そうすると、不思議と見えてくる

“本当の願い”が


嫌いって感情を受け入れたら、辛いって感情を受け入れたら、苦手って感情を受け入れたら、

「なんで嫌いなの?」「なんで辛いの?」「なんで苦手なの?」

心の中で自問自答が始まる

そして、本当の感情が深いところから湧き出してくる

「だって、本当は自分はこうしたかった」「こんなふうにして欲しかった」「こういう言葉を言って欲しかった」

自分を責めたいんじゃなくて、
相手を責めたいのでもなくて、
叶わない願いが悲しみになって溢れ出てくる

マイナスの感情に包まれていた、本当の願いを取り出してあげて

叶わなかった悲しみを、とことん聴いてあげて

自分で自分を、抱きしめてあげて


そしたら、
“グチを言う醜い自分”じゃなくて、
“理想をかかげた自分”に、
出会える

理想にやぶれることもあるけれど、
だからといって、これからも絶対に理想が叶わないなんてことはなくて、

今までがダメでも、これからは違うかもしれない

そうやって、理想に向かって努力してると、もっともっと奥深くに押し込めた感情が出てきたりもする
「あぁ、本当の願いはこっちだった!」

何重にも押し込めた感情を、ひとつひとつ発見していく…

そんな自分探しの旅


やっと、自分と向き合えるかもしれない

それは、とても勇気がいることだけど、
何が出てくるのか、楽しみだったりもする

ゴールのない、長い長い旅なんだろうなと思う

どうせなら、楽しみながら進みたい

そんなことを思う、今日この頃です

物語と現実


昔、小説を書きかけたことがある

昔といっても、そんなに大昔じゃなくて、数年前くらい

誰かに読んでもらうためじゃなくて、自分のために書き始めた

自分の心の奥に封印した、インナーチャイルドとでもいうのだろうか、
行き場のなくなった、かつての自分を成仏させてあげようと思って、
主人公に自分を重ねて、その子をハッピーエンドに導いてあげようと思った

なのに…

書けなかった



どう書いても、悩み、苦しみ、泥沼にはまってしまって、その先に進めない

物語なのだから…、自分で書いてる作り話なのだから、現実に関係なく、どんなふうにでも書いていいはずなのに…


そして、気がついた

まだ、自分自身が泥沼の中で、もがき続けてることに。

封印して、苦しんでいないフリをしてるだけで、ずっとずっと、苦しみ続けて、まだ答えを見つけていないことに、その時、気がついてしまった

書きかけの文章は、確か、捨ててしまったと思う


あれから、数年

いつの間にか、苦しみは消えていた


もう一度、物語を書いたら
今度こそ、主人公を幸せにしてあげられるだろうか?

今は、まだ書けないか…

「苦しくない」だけで、「幸福をつかんだ」感覚は、まだ味わえてないから

まだ、道の途中

何もつかめてない


ハッピーを創り出す力が欲しいなぁ
物語でも
現実でも。

そう思って、進んでいれば、
また、いつの間にか変わっていくだろうか?

今はただ、一歩ずつ進んでいこう
そう思うばかり

心を柔らかく、そして大きくしたい


伝えたいことを、文字にしようと思って色々考えてると、
なんだか、説明くさくなって、頭でっかちになって、どんどん難しくなってしまう

書たり消したりを繰り返して、
「なんかちがう」って、なってる

そもそも、言葉だけで伝えられるようなものでは、ないのかもしれない

だって、おんなじ言葉でも、言う人が違うと、違って聞こえる

その人の、人柄とか気持ちとか、通ってきた人生、背負っているもの、そういうものが、言葉にのる

いま、伝えたいと思ってることを語る器が、私にはないのかもしれない

もうちょっと、経験とか、実績とか、何かオーラのような、黙ってても伝わるような、にじみ出るものがないと、
伝えられないのかもしれない


態度で示すしか、ないのかな

それって、すごく難しい

でも、一言も発さずに、誤解なく伝えることができる方法かもしれない


だからこそ、私は
天使になりたい

そう思う

自然の営み


人は、みんな生まれてくる
そして、いつか必ずこの世界を離れる

それが、自然の節理

男女があって、両親となる人があって、
子供が産まれる

そうやって人類は、生命を紡いできた




でも、その自然な営みが、現代では変化しつつあるみたいで…

それが、良いことなのか、悪いことなのかを、人間心で判断するのは、難しい

ただ、私自身は、
「男女がなくても、人間を製造できる未来」になってしまうことを、
憂いる者です

現代において、人それぞれ様々な価値観があると思うけど、色んな考え方があると思うけど、
どうか、この世界の価値観だけで、考えないで欲しい

生まれる前の世界、
生まれてくる魂の気持ち、
それを、忘れないで欲しい


この世界の新しい技術が、必要なときもあると思う

新しい価値観が、必要になることもあると思う

だけど…

この世界に、新しい技術や価値観が出てきたからといって、
いにしえから人類が紡いできた自然の営みを、失ってもいいということには、ならないと思う

どんなに時代が変化しても、
忘れてはならない大事なことが
あると思う

縦横高さという、三次元のモノサシでは、計れない
目に見えない、大事なこと

この世界の理屈だけでは、完結しない

この世界を超えた、大きな視点を
忘れないで欲しい

胎内の記憶


憶えていたはずの胎内の記憶は、だんだん薄れて、
四十歳を過ぎた頃には、ほとんど忘れてしまった

自分が書いていたものを読み返して、
「ああ、そういえばそうだったかも…」と、古い日記帳でも読んでいるときの、懐かしいような、不思議な気持ちになる


母と臍の緒でつながり、母の中に居る状態というのは、
まるで、母の臓器の一つになったような感覚だった…らしい

母の一部でもあり、個別のものでもあり、
一つのようで、二つ
二つのようで、一つ
一心同体というか…
二心同体というか…

母の声、
母の身体の動き、
母の感じていること、考えていること、心の動き…
外の気配、音、温度、天気、季節、時間の流れ、人間関係、環境…

色んなことを、感じていた気がする


一つの身体の中に、二つの魂が宿ってる感覚。

胎内から見て感じていた、その感覚をおぼえたまま、この身に魂を宿してみたかった

記憶がなくなってしまった今、それはもう叶わない


だけど、生命の神秘を語っても許されるかな…

出産経験がなくても、出産を語って大丈夫かな…

自信も無い
勇気も無い

それでも、どうしても、未来のために言っておきたいことがある

言葉にするのが難しいけど、
どうにか伝えられますように🙏

少しずつでも、綴れるように頑張ります

魂の記憶


伝えたいことは、たくさんあるはずなのに、いざ言葉にしようと思うと、上手く出てこない

過去に書いた文章を、まるごと載せたい気持ちにもなるけれど、印刷すると23ページにもなる文章を載せるのは、躊躇する

親しい人に読んでもらっても、上手く伝えきることはできなかった


言葉で伝えるって難しい…



誰でもみんな、生まれてきた
生れた日がある
生まれる前があった

憶えている人は少ないかもしれないけど…

憶えてるなんて言うと、珍しがられたり、面白がられたり、質問攻めされたりしたけど、
憶えている立場からしたら、忘れてることの方が不思議で、

「卒園したって、幼稚園のこと覚えてる。卒業したって小学校のこと覚えてる。
お腹の中のことだって、出てきても覚えてる。同じことでしょう?驚くようなことじゃないのに…」
って、思ってた。

人が一人生まれてくるというのは、
生まれる前の世界から、この世界に出てくるということ

生まれる前の世界があるということが、
そんなに変なことだろうか?

忘れてるだけで、絶対にみんなの心の記憶、魂の記憶にあるはず

真実は、誰に聞かなくても、
自分自身の心の中にある

この世界だけの常識に惑わされずに、真実に気がついて欲しい

“生命”とは?


私は、二十歳で結婚した
世間的に早い方だったと思う

そのタイミングで結婚したのには、色々と理由があったけれど、妊娠したわけじゃない

私は、妊娠したことがない


二十歳で結婚して、もう四十代半ばになってしまった

この、二十数年、どれほど“生命”について考えてきただろう
どれほど、性について、出産について、神しくみについて、考えてきただろう

以前、このブログで少し書いたことがあるけど、
私は、生まれる前の記憶を持っていた

簡単には信じてもらえないと思うし
今はもう、忘れてしまった

去年の記憶すら怪しいのに、四十年以上前の記憶なんて、もう、分からない

でも、数年前までは、はっきり憶えてたことがあって、
それは書き残してある


どうしても、遺したい言葉がある

人間の寿命なんて、100年そこそこしかない
新しい生命が生まれてこなければ、疫病が流行らなくとも、100年もすれぱ、人類は滅びてしまう


そもそも、何故、人類は生命を紡いでいるのか…
なんのために生きているのか

この世界のしくみに、目を向けて欲しい

目覚めて欲しい

生まれる前から知ってるはずの、心の奥底にあるものを、見つけて欲しい


そう、声を大にして言いたい


どう伝えたら良いのか…
上手く言葉にできなくて、勇気もなくて、何もできない自分が、もどかしい

せめてもの思いで、このブログに綴ります

誰かの心に、届きますように🙏